前回の記事、「文総裁の妻の位置もいません」お父様最後の講演動画(日本語字幕) でご紹介した、お父様(文鮮明師)のご発言を何度も読み、また、動画でも見てみました。
オモニを私が育ててきたよ聖和の49日前に語られたこの内容ですが、叱咤されるような、厳しい口調です。しかし、また、お父様の悲しみを感じたのは私だけでしょうか?イエス様のゲッセマネでのみ言を思い起こされました。
オモニはいません。
文総裁の妻の位置もいません。
自分勝手にやっている!!
自分勝手に
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。弟子たちに、「死ぬほど」の悲しみを表明されたイエス様でありました。しかし、弟子たちは、その深刻な祈りの際に、眠りこけていたというのはあまりにも有名な話であります。
(マタイによる福音書/ 26章 38節)
実際、このような発言があったことは、私を含めて知る由もなかったという方が、ほとんどでありましょう。現実的に、自分ではどうしようもなかったことかもしれません。また、仮にその場で聞いて、その内容が分かっていたとしても、それがいったいどのような意味なのかを理解することもなかったことでしょう。
今になって、亨進様と國進様を通して、サンクチュアリ教会を通して、韓鶴子氏の真実を知らされてこそ、ようやくその意味が理解できたと言えると思います。イエス様の弟子たち同様に眠っていた私たちを、目覚めさせてくれたお二人に心から感謝したいと思います。
聖和される前に、韓鶴子氏が真の母として失敗したとしても私たちが目覚めるように、このような預言を残してくださったお父様であったのではないかとも思えます。
そして、イエス様が、復活ののち語られたみ言と同じように、真のお父様は、私たちが真実に祈り信じれば、いつも私たちと共におられるのだと、心から思います。
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
(マタイによる福音書/ 28章 16-20節)
同感です。お父様は「死ぬほど」悲しかったのですね。いまさらながら思います。
返信削除コメントありがとうございます。
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