わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる。家庭詐欺連合がYouTubeにアップロードした阿部美樹氏による真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題については、すでにいくつかのブログでも取り上げられていますが、今回は特に、Cyberサンクチュアリ人協会の小林さんもこちらの記事で取り上げておられる、「はげ頭と苺」からの引用について分析してみたいと思います。
「主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください」。
欺きの舌よ、おまえに何が与えられ、何が加えられるであろうか。
ますらおの鋭い矢と、えにしだの熱い炭とである。(詩篇 120篇 1-4節)
基本的には、小林さんの言われている通りですので、同じ主張の繰り返しになってしまうのですが、「はげ頭と苺」を読んだことのない方にも分かるように敢えてもう少し突っ込んで取り上げてみたいと思います。
では問題の部分をおさらいしてみましょう。まず、阿部美樹氏は次のように語り、
阿部美樹氏:「我々祝福家庭の失敗や足りなさを讒訴条件にして、サタンは常に真の父母様もしくは真の子女様に対して多くの試練を与えてきました。七男の亨進様が書かれた「はげ頭と苺」の中で次のように真の家庭について表現されています。」
以下の「はげ頭と苺」からの抜粋部分を読み上げています。
そして、次のように続き、お母様の語られた内容を紹介しています。
阿部美樹氏:「このような亨進様の心の傷を誰よりもご存じだったのが真のお母様です。」・・・以下省略
最初に結論から書きますと、タイトルにも書いた通り、この家庭詐欺連合の動画自体がまさにプロパガンダであり、情報操作であり、心理操作であるということです。これは、先日このプログで書いた記事、なぜ「天のお父様」と呼ぶのか? で指摘したものと基本的に同じ性質のものです。
第二次世界大戦中、日本はもちろんアメリカでも戦意を高揚させ、国民からの戦争への批判を避けるべく情報が統制され心理操作が行われました。現代の日本のマスコミでも、テレビ媒体で映像をつぎはぎしていとも簡単にイメージ操作をしてしまうことが陰で行われていると言われています。
「はげ頭と苺」は2004年(間違いがあればご指摘ください)に発刊されており、亨進様の20代前半ごろの真のお父様との交流の中での証しを中心に、それ以前のもっと幼いころの思い出なども交えながら綴られた自伝的なエッセイです。冒頭に、ご自身が榮進様の聖和をきっかけに本質的な価値観を求めることに目覚め始め、また、それまでお父様の教えと自分との接点を見いだせずにいたのが、あるときお父様と対話したことがきっかけではじめてお父様を宗教的、霊的指導者として受け入れるようになったエピソードが含まれています。
家庭詐欺連合が引用したのがこの部分の一部ですが、まずこの引用の直前部分を引用してみましょう。
しかし、私のお父様との本当の関係は、お父様がこの話について、あのように反応されたその時から本格的に始まったのでした。(はげ頭と苺)このあと、あの引用部分が続き、さらにそのあと次のように締めくくられます。
お父様に対して宗教的、霊的指導者として関心を持つようになったのです。訓読会シリーズの本も、ずっと読むようになり、今まで実感したことはもちろん聞いたこともなかった、教えのある側面を発見したりもしました。(はげ頭と苺)さらにこれらの引用の少し前に、実際にそのお父様との出会いがあった部分の描写が次の通りです。
命を揺さぶる、このような体験をした後で、初めて私は正直に、自分は「統一信徒」であると考えることができるようになりました。その前までのお父様という方は、業績だけは尊敬できる、自分の父親にすぎませんでした。(はげ頭と苺)つまり、この出会いがあるまでは「お父様の説教を聞きながら、心のつながりを感じたことは一度もありませんでした。」というのがこの本で言っていることです。この本一つを取ってみても亨進様が非常に深いレベルでお父様のことを理解されていることがわかりますし、またここですべてを挙げられませんが、他の部分でもお父様との非常に深いつながりを証しされているのです。
「サタンが真の子女に試練を与えてきた」ことはその通りでしよう。しかし、わざわざこの本のこの部分だけを抜き出して、それに対して、そのような亨進様にお母様がこう語っています、とつなげるのは非常に不自然なことです。表面的にはもっともらしい主張をしているようで実は別の意図が隠されていると言えるでしょう。つまり、「亨進様は幼い、わかっていない、お父様と遠い存在だ。」といった言外の主張、イメージ操作です。
簡単な例をあげましょう。例えば新約聖書に出てくるサウロ(のちのパウロ)について次の聖句を引用します。
ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。(使徒行伝8章3節)
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。(使徒行伝9章1-2節))そして、「サウロ(パウロ)はひどい人ですね。この人の言っていることが信じられるでしょうか?」と言ったとしましょう。聖書を読んだことのない人は、サウロがその後改心してイエスに出会い、熱心なクリスチャンになったということを知らないのでその言葉を鵜呑みにするでしょう。
家庭詐欺連合がやっていることはこれと同じようなことです。ご理解いただけたでしょうか?
心理操作というのは、相手に思い込ませることが目的なので、論理的であることよりも相手に「驚き」「不安」「動揺」 「同情」などを与えてとにかく感情的に影響を与えることが肝心であり、そういうイメージを作り出す土台を作って「あとは勝手に想像してね」というわけです。
「はげ頭と苺」は非常に貴重なお父様との直接の出会いの証しが綴られた尊い本です。そこには真のお父様のお姿、深い心情が生きて描かれています。お父様がお母様を深く愛される美しい光景、原理とお父様のみことばを中心とした深い洞察、絶対「性」についての考察などすばらしい内容が記されているのです。家庭詐欺連合はそれを侮辱しています。これは亨進様に対する侮辱であり、真のお父様に対する冒とくです。
この「はげ頭と苺」は最初に書きましたように、亨進様が20代前半の頃までのことがベースになっています。皆さんご存知のように亨進様は、2009年から七死復活の悟りの証しを始められました。家庭連合の公式説教ブログにも記録が残っています。(彼らが記事を削除しないと良いですが。)この「はげ頭と苺」の頃よりさらにお父様との関係を深めていかれたことが分かります。以下はPAサンクチュアリ教会の公開しているインタビュー(2016年1月)からの抜粋、七死復活についてです。
神様がこの啓示を与えられてから、お父様への見方、お父様との関係において完全な変化が起こりました。それまでお父様は、私にとって偉大な教師、偉大な指導者でした。メシア、救い主である意味が分からなかったのです。しかしこの啓示によって、お父様が救い主であられ、それなくしては誰も神様の前に正しきものとして立てないのだと悟りました。さらに、同インタビューの「お父様のおそばで過ごした2年間」(2年間とは聖和直前までの2年間のこと。)からの引用です。
ですからこの2年間はお父様が与えて下さった貴重な時でした。これを理解していなければ、今頃、後継者、相続者として「関係性」や「関わり」ではなく「宗教」を教え続けていたことでしょう。計り知れないほどの転換でした。それがなければ、共に生きる人間としての神の人、キリストを語らず、レバレント・ムーンの神学を講義していたでしょう。大きなお父様の贈り物であり、恩寵でした。このように、亨進様はお父様と誰よりも深い関係を築いておられることがわかります。
亨進様にお母様の愛が大きく注がれたことを否定するものではありません。それは過去において大きな影響があったことだろうと思います。しかし、事実を歪曲し誤解を与えるような内容を示し、それをあたかも真実であるかのように装って批判を展開しようとする家庭詐欺連合の姿勢をここに厳しく糾弾したいと思います。
まだまだ書きたいことはありますが、ひとまず今回はここまでとします。
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