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2016年3月26日土曜日

ホセアと姦淫の女ゴメル - お父様はお母様を赦しておられます

さて、最近、天聖経を開いていますと、妻が「昔はぜんぜん見なかったのにね」などと挑戦的な言葉をかけてきます。確かに天聖経はそれほど読んでいませんでしたので、それは少し反省しなければならないでしょう。

しかし、自分なりには理由があって原理講論や聖書を中心に読んでいたのです。自分にはそれが必要だと思っていました。特にお父様の聖和後、教会の様々な改革に空虚感を覚え、原理講論を読み、聖書を読みふけりました。原点に返る必要があると感じていました。

振り返ると、数年間、教会学校で説教を担当していたころ、それまで以上に聖書に親しむことになりました。「小学生には聖書から教えなさい」 というのが方針だったと思います。中には「聖書なんか読まなくても良い、お父様のみ言だけ読めば良い」とおっしゃる方もいました。しかし、真のお父様ご自身が青年期までに聖書がボロボロになるまで何度も読まれ、研究されたのです。


小学生相手とはいえ、毎回数時間、時には半日を費やして説教の準備をしますので、そこで、自分自身、「旧約聖書には感動的なみ言がこんなにもあるのか」と目を開かされることが度々ありました。

今日ご紹介するのはその頃出会った、旧約聖書のホセア書のお話です。亨進様も2015年5月10日の説教で少し触れておられます。

[ホセア書/ 1章 2節]
主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。
そこで彼は行ってデブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって男の子を産んだ。
預言者ホセアは淫行の女ゴメルを妻にするよう神様の啓示を受けます。

しかしその後、ゴメルは家を出て他の男と罪を犯すようになってしまいます。
[ホセア書/ 2章 5節]
彼らの母は淫行をなし、彼らをはらんだ彼女は恥ずべきことを行った。彼女は言った、『わたしはわが恋人たちについて行こう。彼らはパンと水と羊の毛と麻と油と飲み物とを、わたしに与える者である』と。 
しかし、 神様とホセアはゴメルを赦していくのです。
[ホセア書/ 3章 1-3節]
主はわたしに言われた、「あなたは再び行って、イスラエルの人々が他の神々に転じて、干ぶどうの菓子を愛するにもかかわらず、主がこれを愛せられるように、姦夫に愛せられる女、姦淫を行う女を愛せよ」と。
そこでわたしは銀十五シケルと大麦一ホメル半とをもって彼女を買い取った。
わたしは彼女に言った、「あなたは長くわたしの所にとどまって、淫行をなさず、また他の人のものとなってはならない。わたしもまた、あなたにそうしよう」と。
ホセアは自分と神様を裏切り、娼婦に身を落としたゴメルを赦し、ゴメルを引き取ることを決心します。それは、
イスラエルの人々が他の神々に転じて、干ぶどうの菓子を愛するにもかかわらず、主がこれを愛せられるように

と、あるように、神様も自分を裏切るイスラエルを愛しておられることを知ったからでしょう。

その後も、ときのエフライム王は罪を繰り返しますが、ホセアは神様の言葉を伝え続けてゆくのでした。

私はこのブログで家庭連合に対する批判記事を書いておりますが、神様はそのような過ちを犯した人々をも赦しておられると信じています。私自身もゴメルのように何度も神様を裏切り、お父様を裏切ってきたのに赦していただいたと感じています。

韓お母様が、家庭詐欺連合の幹部たちがどんなにお父様を冒とくされるようなことをされたとしても、お父様は赦しておられると思います。その位置が復帰されることはなくとも。

旧約聖書には罪を審判し、悪を滅ぼす恐ろしい神様も多く描かれていますが、このような赦しの神様も描かれています。亨進様が聖書に、生きたみ言があるとおっしゃるのは、生きた神様がその時代も生きて働かれ、そして今も働かれているからに他ならないのではないかと思います。


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