「アメージング・グレース」の歌詞はイギリスの牧師ジョン・ニュートンが作詞したもので、彼が54歳のとき(1779年)に出版した「オウルニィの讃美歌集」に収録されました。今のメロディーが生まれたのはアメリカで、1829年という説と1831年という説があります。
彼の人生の前半は、一言でいうと「放蕩」でした。内的にも外的にもそれはそれは、ひどい人生です。海軍に強制徴募されてから、彼の人生は転落の一途をたどります。脱走に失敗したのち、商船に乗ることになりますが、彼自身の放埓な生活は、さらに悪くなっていきます。神様の道からどんどん離れて行ってしまいます。
最終的にニュートン自身が、奴隷のような立場に陥ります。実際、それは奴隷以下の立場でした。黒人奴隷からすら、蔑まれ、憐れみを受ける立場にまで落ちてしまったのです。どこかで聞いたことがありませんか?そうです。言わば、僕の僕の立場になってしまいました。
そして、死ぬような境地を通過しながらも、すんでのところで助かるといったことが何度も起こりますが、彼は神様を冒涜し、拒み続けます。しかし、船が難破しかけて、沈みかけた船の中で死を覚悟するような状況で、ようやく彼は自分を振り返ります。そして、これまでも神様の恩恵があったにも関わらず、神様を冒とくし、罪を犯してきたことを自覚し始めます。
絶望的な状況から、生存の希望が見え始めたとき、彼は再び聖書を読み、神様を祈り求めます。そして奇跡的に助かった彼は、少しずつ、神様ヘの道、キリスト者としての道へと進み始めるのでした。
30歳になった頃、ようやく奴隷貿易の仕事から解放され、聖職者を目指します。38歳で英国国教会の教区牧師となり、残りの人生を神様のために捧げたのでした。(ニュートンは福音主義的な立場だったようです。)
ニュートンは、60歳の時、ウィリアム・ウィルバーフォースという国会議員に出会います。そして聖職者になろうとしていたウィルバーフォースを説得し、議員として奴隷貿易反対のために活動することを勧めたのでした。
その後、自分の体験を元にした奴隷貿易の廃止を訴える論文を発表し、枢密院で証言を行うなどウィルバーフォースと共に奴隷貿易廃止のために尽力しました。
その結果、ニュートンが亡くなる直前の1807年に英国国会で正式に奴隷貿易廃止の法律が成立したのです。
ニュートン自身も自覚していたように、私たちは彼の人生を通じて神様が導かれたことを感じることができるのではないかと思います。
ニュートンが書いた数百もの讃美歌の中から、なぜ「アメージング・グレース」が歌い継がれ、これほど有名な曲になったのでしょうか?私はその詞の中に、ニュートンが出会った生きた神様が描かれているからだと思います。また、ちょうどこの歌詞が発表された頃から、奴隷貿易反対運動に関わるようになっていったことも、もしかしたら関係があるのかもしれません。
アメージング・グレースは次の聖書の箇所を説教するために作られたものだそうです。どんな説教だったのでしょうね。(新共同訳のほうがわかりやすかったので口語訳でなく新共同訳にしました)
最後にオリジナルの「アメージング・グレース」歌詞と対訳、そして、ニュートンの墓碑銘の文を引用します。(出典:『アメージング・グレース』物語・ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝、著:ジョン・ニュートン、翻訳:中澤幸夫、彩流社)
彼の人生の前半は、一言でいうと「放蕩」でした。内的にも外的にもそれはそれは、ひどい人生です。海軍に強制徴募されてから、彼の人生は転落の一途をたどります。脱走に失敗したのち、商船に乗ることになりますが、彼自身の放埓な生活は、さらに悪くなっていきます。神様の道からどんどん離れて行ってしまいます。
最終的にニュートン自身が、奴隷のような立場に陥ります。実際、それは奴隷以下の立場でした。黒人奴隷からすら、蔑まれ、憐れみを受ける立場にまで落ちてしまったのです。どこかで聞いたことがありませんか?そうです。言わば、僕の僕の立場になってしまいました。
そして、死ぬような境地を通過しながらも、すんでのところで助かるといったことが何度も起こりますが、彼は神様を冒涜し、拒み続けます。しかし、船が難破しかけて、沈みかけた船の中で死を覚悟するような状況で、ようやく彼は自分を振り返ります。そして、これまでも神様の恩恵があったにも関わらず、神様を冒とくし、罪を犯してきたことを自覚し始めます。
絶望的な状況から、生存の希望が見え始めたとき、彼は再び聖書を読み、神様を祈り求めます。そして奇跡的に助かった彼は、少しずつ、神様ヘの道、キリスト者としての道へと進み始めるのでした。
30歳になった頃、ようやく奴隷貿易の仕事から解放され、聖職者を目指します。38歳で英国国教会の教区牧師となり、残りの人生を神様のために捧げたのでした。(ニュートンは福音主義的な立場だったようです。)
ニュートンは、60歳の時、ウィリアム・ウィルバーフォースという国会議員に出会います。そして聖職者になろうとしていたウィルバーフォースを説得し、議員として奴隷貿易反対のために活動することを勧めたのでした。
その後、自分の体験を元にした奴隷貿易の廃止を訴える論文を発表し、枢密院で証言を行うなどウィルバーフォースと共に奴隷貿易廃止のために尽力しました。
その結果、ニュートンが亡くなる直前の1807年に英国国会で正式に奴隷貿易廃止の法律が成立したのです。
ニュートン自身も自覚していたように、私たちは彼の人生を通じて神様が導かれたことを感じることができるのではないかと思います。
ニュートンが書いた数百もの讃美歌の中から、なぜ「アメージング・グレース」が歌い継がれ、これほど有名な曲になったのでしょうか?私はその詞の中に、ニュートンが出会った生きた神様が描かれているからだと思います。また、ちょうどこの歌詞が発表された頃から、奴隷貿易反対運動に関わるようになっていったことも、もしかしたら関係があるのかもしれません。
アメージング・グレースは次の聖書の箇所を説教するために作られたものだそうです。どんな説教だったのでしょうね。(新共同訳のほうがわかりやすかったので口語訳でなく新共同訳にしました)
歴代誌上/ 17章 16-17節
ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「神なる主よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
神よ、御目には、それも小さな事にすぎません。あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。神なる主よ、あなたはわたしをとりわけ優れた人間と見なされたのでしょうか。
最後にオリジナルの「アメージング・グレース」歌詞と対訳、そして、ニュートンの墓碑銘の文を引用します。(出典:『アメージング・グレース』物語・ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝、著:ジョン・ニュートン、翻訳:中澤幸夫、彩流社)
オリジナルのタイトル:Faith's Review and Expectation
Amazing grace! (how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now am found,
Was blind, but now I see.
‘Twas grace that taught my heart to fear,
And grace those fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed!
Through many dangers, toils and snares,
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my shield and portion be,
As long as life endures.
Yes, when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the vail,
A life of joy and peace.
The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forebear to shine;
But God, who called me here below,
Will be forever mine.
アメージング・グレース、(何と甘美なる響き)
道ならぬ私を救ってくださった。
かつて迷えし者が、今見出され、
闇を出でて、光の中にいる。
神の恵みが私の心に畏れることを教えてくださり、
くだんの恐怖も消えた!
恵みがどれほどありがたく思えたことか、
初めて祈ったとき。
七難八苦、数多(あまた)の誘惑を乗り越え、
ようやくたどり着いた。
ここまで無事にこれたのも、神の恵み、
だから故郷にも連れ行ってくださるだろう。
主は私に良きことを約束してくださった、
主の約束は私の希望の支え、
主は私の盾と分になってくれるだろう、
命が続く限りは。
そう、この身と心が尽き果て、
この世の生が終わるとき、
私は、かぶり布の中に、
喜びと平和の生をもつだろう。
地球は間もなく雪のようにとけ、
太陽は輝くことをやめるだろう、
だが、かくも卑しき私に声をかけてくださった神は、
永久(とわ)に私のものになるだろう。
牧師ジョン・ニュートン
かつて不信心者、放埓者、
アフリカの奴隷たちの召使に堕した者。
わが主、救い主
イエス・キリスト
の豊穣なる御慈悲によって
守られ、赦され、生まれ変わった。
そして自ら長きにわたって破壊せんと骨折った
信仰を説くために指名された。
オウルニィで16年、
この教会で28年、勤めた。
1750年2月1日、
ケント州のチャトナムの
故ジョージ・キャットリットの 令嬢
メアリーと、結婚。
1790年12月15日、
彼女をあずけてくださった主に
私は彼女を委ねた。
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