キリスト教には黒い歴史があります。セルヴェトゥスは三位一体に異を唱えたために火炙りにされました。迫害者たちが信じたのは本当にキリストだったのでしょうか?彼らが信じたのは人間の権威であり、権力だったのではないでしょうか。権威は本来、神様とキリストにのみあるものです。
アリウス派は「父だけが唯一永遠であり、他の二者、子と聖霊は被造物であって父から発するものだ」と主張し、三位一体説に反する考えでした。結果的に少数派であるアリウス派は退けられ、異端とされて追放となります。しかし、コンスタンティヌスがこの会議を招集した目的は、教義そのものではなく、論争によって危機にさらされた社会秩序を回復することでした。つまり、政治的な意思が介入していたわけです。
コンスタンティヌス自身は公会議でアリウス派を退けることを受け入れたものの、331年以降はアリウス派に傾いていったことを表しています。そして死ぬ直前、337年にはアリウス派の司教から洗礼を受けています。(諸説あるようですが、カトリックによる洗礼とするには矛盾があるため、異端による洗礼を隠す意図でカトリックによる洗礼という話が作られたようです)
このような動き、教義の権威づけを進めて行くうちにできたのがカトリック(「普遍」を意味する) だったというわけです。権力と一つになったカトリックの歴史は、やがて行き詰まり、宗教改革が起こるわけですが、それすらもまた別の権威と結びついていました。セルヴェトゥスを火炙りに追いやったのはカルヴァンでした。このような考えが、キリストから出たものと言えるのか甚だ疑問です。
家庭連合が行っていることは、まさに異端審問であり、彼らは歴史の過ちを繰り返しているだけのように思えます。
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。異端審問の始まりはコンスタンティヌスの頃までさかのぼるようです。(参考:ウィキペディア:異端審問)コンスタンティヌスについては、カトリックの聖人、大帝とされてはいるものの、その評価は様々です。コンスタンティヌスが325年に招集したニカイアの公会議は、アリウス派論争の解決が目的でした。
マタイによる福音書/ 28章 18節
アリウス派は「父だけが唯一永遠であり、他の二者、子と聖霊は被造物であって父から発するものだ」と主張し、三位一体説に反する考えでした。結果的に少数派であるアリウス派は退けられ、異端とされて追放となります。しかし、コンスタンティヌスがこの会議を招集した目的は、教義そのものではなく、論争によって危機にさらされた社会秩序を回復することでした。つまり、政治的な意思が介入していたわけです。
コンスタンティヌス自身は公会議でアリウス派を退けることを受け入れたものの、331年以降はアリウス派に傾いていったことを表しています。そして死ぬ直前、337年にはアリウス派の司教から洗礼を受けています。(諸説あるようですが、カトリックによる洗礼とするには矛盾があるため、異端による洗礼を隠す意図でカトリックによる洗礼という話が作られたようです)
このような動き、教義の権威づけを進めて行くうちにできたのがカトリック(「普遍」を意味する) だったというわけです。権力と一つになったカトリックの歴史は、やがて行き詰まり、宗教改革が起こるわけですが、それすらもまた別の権威と結びついていました。セルヴェトゥスを火炙りに追いやったのはカルヴァンでした。このような考えが、キリストから出たものと言えるのか甚だ疑問です。
家庭連合が行っていることは、まさに異端審問であり、彼らは歴史の過ちを繰り返しているだけのように思えます。
スペインの異端審問 |
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。※記事中のコンスタンティヌスについての内容は、ベルトラン・ランソン著「コンスタンティヌス その生涯と治世」を参考にしております。
(マタイによる福音書/ 23章 13節)
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。
(マタイによる福音書/ 23章 15節)
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