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2016年12月15日木曜日

夜の神様とイエス様と真のお父様

半年ほど前に「三位一体 - イエスは神ご自身か」という記事を書いていました。

イエス様は神ご自身ではないとする原理講論の内容は知っていましたが、その記事でも引用したように次の箇所があることにそのとき気づきました。
「原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである」
つまり答えはそう単純なものではないのです。また、夜の神様に関するお父様のみ言葉も引っかかるところでした。

その後、8月(2016年)にニューファンドランドのサンクチュアリ教会で行われた質疑応答の中で國進様と亨進様がこれに関連した見解を述べておられるのを見ました。



皆さんはこの内容で理解が深まったでしょうか?

この中で國進様が、夜の神様とイエス様と真のお父様は同じ霊であると語っておられますが、これについてまず考えてみたいと思います。

私の理解ではイエス様とお父様が同一人物であるというのは、個性真理体という観点からすると考えにくいことです。お父様が15歳の頃に出会ったイエス様がイエス様の霊であるなら二人は別々の個人であると思われます。國進様の説明をイエス様の霊がそのままお父様として再び肉体に宿ったというように解釈すると、お父様がイエス様と対話されたことやイエス様と地上にいる女性との祝福式を行ったこととつじつまが合わないように思えます。

ですからこれはあくまでも神性として見たときの話なのではないかと捉えています。ただ、霊界のことや霊人体のことというのは知的な理解を超えた部分もあると思っているので、断定できるものではないとも思います。

原理講論に「完成した人間が神と一体である」とあるように、イエス様も神様と一体となられお父様も神様と一体となられているのであれば、三段論法的にイエス様とお父様も一体であると考えるのが納得しやすいかもしれません。

そしてここでもっと重要な点は、亨進様が語っておられる救いという観点から見たキリスト観ではないかと思います。

すべての人間は「自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者」(ヨハネによる福音書 8章44節)であり、原罪という呪縛の下に生まれることになってしまったため自分たちだけではそれを解決できません。そこで神様が自身の分身のような直系の息子を救い主として送って下さったわけです。それがすなわち「夜の神様から来た」ということになります。

つまり、イエス様は母マリアの母胎にその生命が宿ったときから他の人間とは異なる神様の直系の息子として現れたのであるということです。再臨主も同様となります。

神様のアバターとしてのキリストという例えもわかりやすいと思います。

ところで、家庭連合の韓鶴子氏はご自身を独生女つまり神様のひとり娘と呼び、無原罪で生まれたと主張しておられます。しかし、再臨主の妻となるべき女性が無原罪でなければならないとすれば文鮮明師の最初の奥様(崔先吉さん)もひとり娘でなければならず、ひとり娘がふたりいるというおかしな話になります。どうせなら違う名称にしておけば良かったのにと思うのは私だけでしょうか。

神様が自身の分身のような存在をこの世に送り出すのは非常に大きな特権の行使だと思いますので、 それを何度も乱発されているというのも非常に考えにくいことです。

家庭連合の方で、「祝福二世も原罪なく生まれているのだから原罪のない人がたくさんいてもおかしくない」と主張される人がいましたが、詭弁としか言いようがありません。

さて、こちらの動画はお母様がイーストガーデンに2世、3世のメンバーを集めて語られた内容だそうです。字幕にはなっていませんでしたが、また「叔父様が早稲田の薬学部で・・・」という話が最後に出てきています。アメリカ人は早稲田のことなんか知らないと思われたのでしょうか・・・。









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