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キリシタン大名、高山右近の生涯と亨進様

戦国の世に、十字架の旗印を掲げて戦い、死ぬまで信仰を貫いた武将がいたことをご存知でしょうか?

Statue of Takayama Ukon in Shiroato Park
城跡公園にある高山右近の銅像

1564年秋、沢城(現在の奈良県宇陀市)で、その城主である高山飛騨守の家族、家臣たち150名が洗礼を受けました。その中に、長男で12歳の高山右近がいました。父である飛騨守自身も、その前年に洗礼を受けています。(参考書籍:「改訂新版 高山右近を追え!」著者:高橋敏夫、いのちのことば社フォレストブックス)

右近に関する記録は、 かなり少ないようです。時の権力者にとってキリシタンが不都合な存在であったことが多かったことが原因だろうと、この著者も書いています。そんな中で、右近の信仰が本物であったことを示すエピソードがあります。


まず、 右近が高槻城主なって五年後の1578年のことです。 君主である荒木村重が織田信長に謀反を企てたため、信長は高槻城に軍を送り、従わなければ宣教師を虐殺すると言って脅迫します。窮地に立たされた右近は、武将の身分、城や家臣も捨てて剃髪し、一介のキリシタン坊主となって信長の前に座しますが、その真摯な態度に信長は感動し、右近を大名として取り立て高槻城の城主の立場に復帰させたのでした。

その後、武将としてもその力を発揮した右近は、明石六万石の城主となります。ところが、右近が戦果を挙げた直後、秀吉は伴天連(キリシタン)追放令を出します。そして、秀吉から三度も使者を送られますが、すべてきっぱりと棄教を断ったのでした。第一の使者に対する回答を引用します。
「余はいかなる方法によっても関白殿下に無礼の振る舞いをしたことはない。余が高槻、明石の人民をキリシタンにさせたのは余の手柄である。余は全世界に代えてもキリシタン宗門と己が霊魂を捨てる意思がない。ゆえに領地ならびに明石の所領六万石を即刻殿下に返上する」  (引用元:上述の参考書籍)
第二の使者は、千利休でした。これに対して右近の答えは次のようなものでした。
「彼、宗門主君の名より重きことを我知らず。しかれども侍の所存は一度それに志て、不変意をもって丈夫とする。主君の命といえども今、軽々敷改のこと武士の不本意」(引用元:同上)
このように、武士でありながら神を最上の主君とし、神のみに仕えるというキリスト者であったことがうかがえます。

その後、右近は流浪の身となりますが、1588年に加賀、前田利家に召し抱えられることになります。そのとき右近は、禄は少なくてもいいから、耶蘇寺を建立して欲しいと要望したそうです。そして、客将でありながも、軍功を上げ、加賀でもその実力が認められました。もちろん伝道にも努め、右近のおかげで多くのキリシタンが生まれました。

しかし、1613年に徳川幕府により「伴天連追放令」が発せられ、右近をはじめとするキリシタンは国外追放となります。信仰を捨てなかった右近はマニラへと追放されました。長旅の疲労などもあり、その直後高熱に倒れた右近は、63年の生涯を終えます。1615年2月3日のことでした。

昨年、2015年が右近の逝去400周年でしたが、今年の初めにローマ教皇が殉教者として認定したそうです。

優れた武将としての才も認められた右近でしたが、神を裏切るぐらいならすべてを捨てるというその信仰には敬服します。

奇しくも右近逝去400周年(2015年2月3日)とほぼ時を同じくして、亨進様が沈黙を破り、「天の宣布」をされました。亨進様は、2016年1月12日のインタビューの中で次のように語っておられます。
私たちは、残念なことにお母様がご自身の神学を続けることを決断され、それを変えるつもりがないという現実に直面しました。それで、イーストガーデンを出ていくことは、はっきりしていたのです。もうここにはいられないと。それでも彼らは、あなたはまだ給料をもらっているじゃないかと言うために、送金しようさえとしていましたが、私は韓国の銀行口座を閉めてしまいました。それで給料を送金できなくなりました。私はすべて切ってしましました。彼らが自分にひもを残さないためです。
「いやいや、彼は資金を受けているよ。」と言わせないために。すべて切りました。なぜならサタンがどのように働くか知っているからです。そのひもが繋がっていると、彼らはいつも「あー、やっぱりそうだ。お母様が彼にお金を払っているのだ。」と言うのです。それは真の子女によく起こることなのです。逃れることのできないひもがつけられているのです。私はそれを切ってイーストガーデンを出ました。
また、2015年1月11日の説教「沈黙を破って」では、次のように韓国の幹部たちがそそのかそうとしたことを暴露されました。
お父様が聖和された後に、直接、目撃した内容、この目で直接に確認した内容があります。
私たちを引き込むために、買収を試みた核心指導者達が文書まで持って、現れました。「我々の側に加われ」と。「どっちにしろ、あなたの世界になります。あなたが後継者ですから。後継権とこの王国はあなたのものですよ」と。とりあえず、一旦加われということです。「お母様が霊界に行けば、あなたが好きなように変更すればよい」これが私が貰った信仰的助言でした。<中略>私はお父様を売ることは出来ません!!私の勝手のために、お母様の聖和を待つことも出来ません
右近がすべてを捨てて神の道を選んだように、亨進様も教会での権力や資産を捨てて、ただ真のお父様に従う正義の道を選ばれました。熊や鹿しかいないような、荒野のような場所で、孤独な立場で出発されたのです。

私は、かつてそのことを祈った時に、それを見つめるお父様の深い悲しみを感じました。私たちの前では、いつも明るく、時として激しく語られる亨進様ですが、その背後には大きな十字架を背負っておられると感じます。ある二世から聞いた証しですが、祝福式の時、間近で見た亨進様は、顔はにこやかだったのに何故か感じたのは「悲しみ」だったそうで、自然と涙がこぼれたそうです。

亨進様は、すべてを捨てて出発されただけでなく、実の母を糾弾せざるをえないという心情の十字架を背負っておられるのではないでしょうか。その深い心情世界と、神様、お父様との深いつながりを、求めていきたいものです。


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