戦国の世に、十字架の旗印を掲げて戦い、死ぬまで信仰を貫いた武将がいたことをご存知でしょうか? 城跡公園にある高山右近の銅像 1564年秋、沢城(現在の奈良県宇陀市)で、その城主である高山飛騨守の家族、家臣たち150名が洗礼を受けました。その中に、長男で12歳の高山右近がいました。父である飛騨守自身も、その前年に洗礼を受けています。(参考書籍:「改訂新版 高山右近を追え!」著者:高橋敏夫、いのちのことば社フォレストブックス) 右近に関する記録は、 かなり少ないようです。時の権力者にとってキリシタンが不都合な存在であったことが多かったことが原因だろうと、この著者も書いています。そんな中で、右近の信仰が本物であったことを示すエピソードがあります。
「すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 平和の福音の備えを足にはき、 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 」 エペソ人への手紙 6章14節-18節